吉原から身請けされたおよしの地蔵
どんな伝承か
東内野の羽黒神社の裏には、六地蔵を従えるように一回り大きなおよし地蔵が立つ。かつてここには長福寺があり、今は寺に代わって町会会館が建つ。台座には今戸町長兵衛の女、生国駿河と刻まれ、幡随院長兵衛の母およしを弔った地蔵といわれる。およしは吉原の遊女で、守谷・蓮見家の先祖の甚兵衛が哀れんで身請けし連れ帰ったが、廓の暮らしで弱っていて間もなく寝ついた。甚兵衛が付ききりで看病していたころ見沼開発の地所割りがあり、立ち会えずに不利な土地を割り当てられたが、のちの話し合いで大間木村に回したという。この騒ぎのころおよしは亡くなり、位牌は会館に納められている。
原典より
東内野の羽黒神社の裏手に六地蔵を従えるようにして、ひときわ大きな「およし地蔵」というのが立っている。—— 川口市史 民俗編――伝説(川口市(編)・川口市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
川口市史 民俗編――伝説(川口市(編)・川口市史)
『川口市史 民俗編――伝説』は、川口市が編んだ市史民俗編のうち、第四章「伝説」を収めたものである。六兵塚や首塚などの塚、山・池沼・樹木にまつわる話、八百比丘尼の椿、神社・地蔵・観音・薬師の霊験、地名の由来、正月の餅を搗かない家例や蛇まつり、川口の鋳物の始まりなどを、地内の地名や家名とともに記す。自然伝説、信仰伝説、歴史伝説の三節に分け、節の中を塚・山・池沼などの項に立てる。