頼朝の奥州征伐と鵜川神社の晴乞い
どんな伝承か
新道の鵜川神社は八幡社で、元暦元年に相模の鶴岡八幡宮から勧請されたと伝える。文治五年、源頼朝が奥州征伐に向かったとき、宇佐美平治実政がこの土地を通りかかって激しい風雨に遭い、この社に晴れを祈ったという口伝が残る。武将が祈願した社であったことから、武神として崇められてきたことが知られる。柏崎地方の八幡社は鵜川流域に多く、新道鵜川神社のように古い道筋に沿って分布している点も注目される。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。