聖岬の大岩に立った鉢崎の太子碑
どんな伝承か
鉢崎太子講は、米山町中山康雄氏所蔵の聖徳太子掛軸と「聖徳太子御軸の序」「聖徳太子転碑の序」によれば、天保十四年正月に棟梁金子作左衛門と広瀬清八の二氏の祈願によって成立した。掛軸は太子十六歳の孝養像で、画伯友山の直筆、妙興寺日瑞上人の開眼であるという。明治七年には皆川新吉の石材寄附で太子碑が建立され、聖岬の海中に突出した大岩石の頂上に安置されたが、明治二十九年の北越鉄道開通後は激浪が岩肌を洗って参詣が危険となり、明治四十三年、広瀬吾作と近藤久左衛門の寄附により寿橋の南、字清水へ転祀された。大正十年三月には聖徳太子千三百年祭が営まれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信(柏崎市(編)・柏崎市史)
『柏崎市史資料集 民俗篇(柏崎の民俗)――信仰と俗信』は、柏崎市史の資料集として編まれた民俗篇のうち、第四章「文化伝承」の信仰にかかわる部分を収める。柏崎市域のムラの神社とまつり、雨乞い・虫送りなどの祈願、家の神と屋敷神、民間小祠と路傍の石仏、寺と行事、修験、庚申講や米山講などの講を、聞き書きと「白川風土記」「神社明細帳」などの記録から記す。第六節「俗信」では予兆・占い・禁忌を分類して列挙し、昭和五十八年の熱田神社の年占の結果も載せる。