五色の雲が湧く役の行者の湯
どんな伝承か
五色の湯は役の行者の開湯と伝えられる。吾妻の山中で修行を積んでいた行者が、五色の雲の湧き上がる山裾をたずねると湯が湧き出していたので、この名がついたという。慶長年間、道心坊がここで目の病いを治したという話を耳にした直江山城守は、長男平八景明の目の治療のため家臣の松本助兵衛高次に命じ、信濃から召した十河養拙、京都の櫛田嘉兵衛、安部大守を付き添わせて湯治をさせ、治したという。板谷ではそれから年番を決めて湯守をし、寛政年間には客もふえたので大沢の五右ェ門が願い出て、藩の許しを得て湯守となり、「赤ん坊の出きる湯」として多くの客を迎えた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
米沢市史 民俗編――伝説(米沢市(編)・米沢市史・自治体史(民俗))
『米沢市史 民俗編』第八章口承文芸所収の伝説。山形県米沢市に伝わる鳥獣草木・山川湖沼・地蔵社寺の伝説を採録する。