堂は焼けてもここにいると告げた薬師如来
どんな伝承か
昔、三ツ木和泉守国重という武士が入間市の金子に住んでいたころ、大火事が起こり、屋敷も大切にしていた薬師堂も焼けてしまった。国重が守り本尊の薬師如来を探すと、少し下の桑の木のもとに像が座っていて、「堂は焼けてもおれはここにいるぞ」と言ったという。喜んだ国重が像を持ち帰って祀ろうとすると、その夜の夢枕に薬師が立ち、この家では家の者しか守れない、もっと東で大勢を守りたいと告げた。そこで国重は像を背負ってこの地に来て堂を建て、土着して自分の名を地名とした。堂が東方にあることから東方の薬師さまと呼ばれる。三ッ木氏は武蔵七党の金子十郎家忠の子孫だという。ことに眼病に効くとされ、八月十二日の縁日はにぎわう。
原典より
東三ッ木にある東方の薬師さまのご本尊は「東方薬師」と称し、行基の作で一刀三礼の尊像といわれている。—— 狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
狭山市史 民俗編(狭山市(狭山市史編さん室/民俗調査担当))
『狭山市史 民俗編』は、狭山市の市史のうち民俗を扱う巻で、ここにはその「五 伝説・昔話・世間話」の部分が収められている。堀兼・入間・奥富・柏原・水富・入間川の各地区で古老の座談会と個別の聞き取りによって集めた話を、話者の地区・名・生年を添えて載せ、不老川や堀兼の井、影隠地蔵、キツネ、豪商綿貫家の話などを含む。伝説は水・動物・植物・地名・人物・塚・神仏・地蔵・妖怪変化など十項に分け、話ごとに[解説]を付す。