丹後の局の懐妊と懐島の名
どんな伝承か
西久保村に伝わる話では、源頼朝の側室であった丹後の局が身ごもったとき、正室の政子がそれをねたんで亡き者にしようとしたことから、懐島という名が生まれたという。局はその後、子を抱いて摂津の住吉の社のあたりで休んでいたところ、たまたま子の素性を頼朝に訴えることになり、その子はのちに薩摩に封じられたと伝えられる。ただし、どの言い伝えが正しいのかは分からないとされている。
原典より
里伝に懐島は源頼朝の妾、丹後の局懐妊す。—— 茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
茅ケ崎市史 3 考古・民俗編(茅ケ崎市史)
『茅ケ崎市史 3 考古・民俗編』は、神奈川県茅ヶ崎市の市史の考古・民俗編のうち、第七章「伝説と俗信」第一節「伝説」の初めの部分である。今宿の旗たての松、のどの病に効くという芹沢のぎゃーぎばあさん、寒川神社の浜降祭の縁起、南湖のやせ地蔵、下寺尾の七堂伽藍と沈んだ鐘、小和田の涙橋などの伝説を収める。社寺堂縁起と地名のいわれの項に分け、明治生まれの話者の名と地区を添えた聞き書きに、『茅ヶ崎郷土史』などの文献からの引用を交える。