戦死者を弔う五輪平と笠石の碑
どんな伝承か
矢包池の近くに五輪平という所がある。昔ここに五輪塔があったが、昭和四十年ごろ、三神村の三城目の角惣内に開拓者の碑を建てるので欲しいと請われて譲られ、今はない。細い桜と松の木が一本残るだけで、そこにあった祠は吉田智光宅の内神様の傍に移された。この五輪塔は行方野原の合戦の折の戦死者の供養塔ではないかと土地の人は語っている。また笠石ムラの笠地蔵の境内には、高さ一・三メートルほどの碑があり、文字は読めず、村人は笠地蔵と呼んでいる。和田一門の平太胤長が奥州岩瀬の地に流されて誅殺された後、縁故の者がその霊を慰めるために建てたものかといわれ、この地を笠石と呼ぶのもこの碑によるという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鏡石町史 第4巻 民俗編
『鏡石町史 第4巻 民俗編』は、鏡石町の町史のうち民俗を扱う巻である。第十一章「昔話と伝説」では、笠石・細谷・成田・久来石などのムラに伝わる木や坂・峠・祠堂・石にまつわる伝説を集め、伐ろうとした者が病んだ愛宕様の楓、鼻取り地蔵、和田平太胤長の妻にちなむ化粧が原などの由来を記す。伝説は木の部・坂峠山の部・由来譚・祠堂の部・石岩の部に分けて番号を付し、各話の末尾に話者名か『白河風土記』などの典拠を添える。