御神供さまの炒米
どんな伝承か
小助やぶに婆がいた。春でもまだ寒い頃、細い道をやって来た爺が門口に立ち、腹のふくれるものはないかと乞うた。婆は、貧しくて差し上げるものは何もないが今米を炒っているのではぜでも食べてくれと言って食わせた。爺はそれで飢えをしのいだ。白髪の爺は実は神で、天日陰比咩命であったという。祭りになると二宮の神が芹川へ来て祭りをし、徳前ボウダラを経て二宮の宮へ納まる。二宮へ納める時は芹川から行ってはぜを供え、皆に振る舞う。今も御神供さまには炒米を配って皆で喜ぶ。神は「今年の秋は御陰で豊作だ」と言って姿を消したと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
鹿島町史 通史・民俗編――伝説(鹿島町(編)・鹿島町史)
『鹿島町史 通史・民俗編――伝説』は、鹿島町の町史通史・民俗編のうち、昔話と伝説の節と、続く「俗信と俚諺」の冒頭を収めたものである。石動山麓と邑知地溝帯の集落で聞いた話を、芋掘り権兵衛や屁売りじいさなどの昔話、亀塚や椀貸穴などの自然伝説、初瀬の観音様や井田の不動滝の信仰伝説、久江の道閑や村境を決めた話の歴史伝説に分け、在所名を添えて載せる。伝承の状況や語り始めと結びを述べた解説を前に置く。