ダイナマイト千五百本で砕かれた月宮殿
どんな伝承か
一九三六年五月、京都府の指示で綾部と亀岡の大本の施設の取り壊しが始まった。亀岡の天恩郷では、人夫たちが建物の建具を外し、柱の根元に鋸を入れてウインチで引き倒していった。だが大理石などの石材と鉄筋コンクリートで造られた月宮殿は容易に崩れなかった。王仁三郎自らが設計した建坪わずか十一坪の神殿で、十字形の棟をもつ独創的な造りだった。手を焼いた当局は鉄筋を焼き切り、二十一日をかけてダイナマイト千五百本を使い、ようやく砕いた。再建を恐れて用材はすべて三尺以下に切られ、コンクリートの塊もさらに粉々にされたという。
原典より
その堅牢さに手を焼いた弾圧者は、鉄筋を焼き切り、前後二十一日間をかけ、ダイナマイト千五百本を用いてようやく破砕した。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・1973年(昭和48年))
『出口王仁三郎』は、村上重良が昭和四十八年に著した大本教の指導者出口王仁三郎の評伝である。丹波穴太村の小作農の家に生まれた上田喜三郎の生い立ちと修行から、出口直との出会いと大本教の拡大、大正維新と不敬事件、『霊界物語』の口述や入蒙、昭和神聖会と大弾圧、法廷での闘い、晩年までをたどる。「故山の夢」「道の大本」「人類愛善」の三章に分けて叙述し、巻末に略年譜と参考文献を付す。