余呉湖の由来をめぐる附会説
どんな伝承か
『近江輿地志略』は下余呉村の西にある湖について記す。餘湖・餘呉・余吾などさまざまに書かれ、南北十八町、東西十一町、深いところは三十五尋あるという。土俗の説では、孝霊天皇七年に富士山ができたとき近江が一夜で裂けて湖となり、その土が富士になった。山土が少し足りずにもう一度地が裂けて余呉の湖ができ、残った土が三上山になったと語られる。編者はこれを附会の説として退け、山谷の水が自然にたまってできた湖にすぎないと論じている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第8巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第8巻』は、黄地百合子・酒向伸行・田中久夫が滋賀・京都・兵庫の三府県を分担して執筆し、福田晃がまとめた伝説集である。丹波の湖を神々が切り開いた国造りの話、神同士の争い、英雄や長者の盛衰、蛇と人の話、魚・鳥・石・塚・祠堂の由来などを、各地の口承や記載資料から集める。第一部「文化叙事伝説」と第二部「自然説明伝説」に分け、各話を例話・類話・文献・参考の順に並べ、高木敏雄・柳田国男の対応する話名を付す。