蜘蛛の巣が救った平親盛と榎原
どんな伝承か
榎原という名の起こりは、長治元年に平親盛がこの地へ落ち延び、奥榎原の城山に城を構えて村を開いたことによると伝える。当時、口榎原より奥はまだ開けておらず、平地にも大木が茂っていた。敵に追われた親盛は今の公会堂のあたりで力尽き、榎の大木の洞に身を隠して人事不省となる。翌朝、追手は洞を調べたものの、一夜のうちに口へ蜘蛛が巣を張っていたため、人が入っているはずがないと深く探らずに去った。こうして助かった親盛は土地に住みつき、城山に城を構えて榎原を開いていったという。榎の大樹の洞に御座を構えたゆえこの地を榎原と申し伝える、と記した古文書も残る。
原典より
〈柳田―「平家谷」〉榎原と呼ぶようになったのは、一一〇五年堀川天皇の長治元年に平親盛と言う人がこの地に落ちのびて来て、奥榎原の城山に城をかまえて村を開拓したのによる。—— 日本伝説大系 第8巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第8巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房))
『日本伝説大系 第8巻』は、黄地百合子・酒向伸行・田中久夫が滋賀・京都・兵庫の三府県を分担して執筆し、福田晃がまとめた伝説集である。丹波の湖を神々が切り開いた国造りの話、神同士の争い、英雄や長者の盛衰、蛇と人の話、魚・鳥・石・塚・祠堂の由来などを、各地の口承や記載資料から集める。第一部「文化叙事伝説」と第二部「自然説明伝説」に分け、各話を例話・類話・文献・参考の順に並べ、高木敏雄・柳田国男の対応する話名を付す。