久高島行幸の由来と袖に乗った白壺
どんな伝承か
『琉球国由来記』巻一は、二月の麦のミシキョマの折、隔年に一度、国王が久高島へ行幸したと記す。尚貞王の代、康熙十二年二月十一日から国王自身の渡海はやめ、当役を遣わすようになった。由来としては、阿摩美久が天へ昇って五穀の種子を乞い下し、麦・栗・菽・黍などを久高島に蒔き、稲を知念と玉城に蒔いたことによるという。また島の古老の俗説として、アナゴノ子が伊敷泊で白い壺を見つけたが取れず、妻の勧めで沐浴潔斎し白衣を着て袖を広げて待つと壺が袖に乗り、開けると七種の実が入っていたと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第15巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第15巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全185話(奄美・沖縄=南西諸島)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。