平松に残る若君と浦の娘の死
どんな伝承か
資盛は島の西南部を領して加計呂麻島の諸鈍に城を構え、有盛は北部を領して浦上に居城を置き、行盛は東部を領して戸口に城を築いたという。諸鈍の大屯神社、戸口の行盛神社、浦上の有盛神社がその跡である。行盛の若君は安木屋場の今井のもとへ通ううち、途中の浦という部落の美しい娘と情を交わすようになった。ある日、若君は無事を報せる遠見の注進を頼まれながら浦に留まって忘れ、行盛は我が子も今井も討たれたと思い定めて腹を切る。今井も責を負って果て、事情を知らず戻った若君も自害した。娘は生まれた赤児を抱いて戸口へ赴き、若君の死を知って赤児を刺し、自らも松の木で首をくくった。この松を今も平松と呼ぶ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第15巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第15巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全185話(奄美・沖縄=南西諸島)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。