三手に分かれ着いた平家の公達
どんな伝承か
元暦二年三月の夜、豊前国から南へ船を出した一行は、種子島にも屋久島にも頼る者がなく、九月に鬼ヶ島と呼ぶ島へ着いて三年を過ごした。近くに大きな島影が見えたので小船五艘を遣わすと、島に主はおらず、人々は海賊を恐れて山陰に住むと報じた。資盛の船は西表へ、有盛の船は島の北へ、行盛の船は南へ渡り、公達は三手に分かれて着いたという。行盛に従う侍大将たちは瀬名の湊に上がり、老女の木屋を足がかりに夜襲をかけて島の者を降し、五十四日で平らげた。行盛は戸口村に大城小城を構え、堀と溜池を掘って旱に備えたとある。墓所の沖では船が難に遭うため、その霊を鎮めて新立王殿と称し、年二度の祭礼を営むことになったと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第15巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第15巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全185話(奄美・沖縄=南西諸島)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。