鬨の声をあげた呼ばわり石
どんな伝承か
天正十七年、伊達軍と芦名軍が高倉付近で戦い、苦戦した伊達方は三春藩に応援を求め、新田館からも大勢の援軍が送られた。留守が手薄と見た安達白岩の大場ノ内館の兵が大挙して押し寄せたが、留守を守っていた智将泉田外記は、町内の婦人から腰巻を借り集めて旗に仕立て、虚勢を張って防戦した。そのとき後方から大軍の鬨の声が起こったので、敵は援軍が到着したと思い込み、利あらずと逃げ帰ったという。戦いの後に声のした場所を探すと、山の裾の大きな石の表面に、汗とも水ともつかぬものが流れていた。以来この石を呼ばわり石と呼び伝えている。
原典より
天生十七年、伊達軍と芦名軍が、高倉付近で戦闘し、伊達軍が大いに苦戦をし、三春藩の応援を求めた時、新田館からも、早速大勢の援軍を送った。—— 郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
郡山の伝説(郡山市教育委員会(編)・大島建彦(監修)・ふるさとの文化財調査事業・1986年(昭和61年))
『郡山の伝説』は、郡山市教育委員会が大島建彦の監修を受けて昭和六十一年に編んだ伝説集である。昭和五十九年度の「ふるさとの文化財調査事業」で調査員が市内全域から採集した伝説を中心に、郷土誌などで補った話を収め、采女伝説や坂上田村麻呂・源義家・弘法大師にまつわる話が多い。『日本伝説名彙』にならって木・石岩・水・塚・坂峠山・祠堂・家村・祭礼行事の部に分け、各話に伝承地と報告者名を添え、巻頭に監修者の解説を置く。