火の雨を逃れた善人夫婦と火の雨塚
どんな伝承か
藤井町小学校の西の田圃の中に、十数個の大石が重なり合った塚があり、火の雨塚と呼ばれている。昔、天の怒りで富士山が噴火し、降りそそぐ火の雨で村の者はことごとく死んだが、善人の夫婦が一組だけこの塚の中に入って火の雨を防ぎ、命拾いをした。その善い行いが天に届いたのだといわれ、この夫婦の子孫が藤井村の祖先になったとも伝えられている。
原典より
藤井町小学校西方の田圃の中に、巨石十数個が重なり合って塚になっているところがある。—— 韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
韮崎市の民話伝説(韮崎市教育委員会・1967年(昭和42年))
『韮崎市の民話伝説』は、韮崎市教育委員会が昭和四十二年に発行した民話・伝説集である。韮崎・円野・中田・穴山・藤井・神山・穂坂・清哲・旭・大草・竜岡の十一町で民俗資料調査員が集めた百六十八話を収め、武田信玄・勝頼や鎮西八郎為朝、弘法大師の話、山の神のたたりや化かされた話などに話者名や『裏見寒話』などの出典を添える。巻頭に昔話と伝説の解説を置き、本文を木・石・水・塚・坂峠・山・谷沢・屋敷跡城址・祠堂・その他の十部に分ける。