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宝永の富士山焼けの砂塚

所在地神奈川県大和市深見
年代宝永(富士山噴火時)
登場土地の人
出典定本柳田国男集 第3巻

どんな伝承か

一之関のあたりは宝永の富士山焼けの際に砂がたくさん降ったところで、今でもそれを取り除けた砂の塚が処々にあるという。またその時の帳面が村にあるといい、つまりそれより古い文書はもう無い。しかし境川の流れが変わっていないということは、少なくとも事実のようだと柳田は記す。降砂の記憶とその時の帳面だけが村に残り、それ以前の村の来歴を語る資料は失われている。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。

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