地曳網の大アバと恵比須信仰
どんな伝承か
柳田国男が湯河原駅のホームで、ヤイシを担いで来た平塚の網主から聞いた話。地曳網の魚を狩り込む部分をこの人はアラテと呼び、藁ミゴを使った時代は三百目のヤイシが要ったが、木綿糸を主に使う今は二百目が頃合いだという。中央の浮子を恵比須アバと呼ぶかと尋ねると、ただ大アバというだけで神棚にも上げない、それでも女などが跨ぐと怒ると答えた。大アバを特に大きく作るのは袋の口の開きを程よくするためと解しており、シラス網の袋は目の荒い木綿布を用いるので白い蚊帳といい、平塚などではオーダの袋と呼ぶと語った。この網主は本来鰹節商で、曳網は新米だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。