義経の埋めた財宝
どんな伝承か
寿永四年、壇ノ浦で平家を破った義経は、捕虜を連れて鎌倉へ向かったが、兄頼朝に鎌倉入りを拒まれ、腰越の万福寺で許しを待った。胸の内を綴った腰越状も途中で握りつぶされて頼朝の目に届かず、一か月後、義経はあきらめて京へ向かった。その途中、下鶴間の浅間神社で休んだとき、一羽の鶴が鎌倉の方へ飛んでいった。自分は二度と鎌倉の地を踏めないと嘆いた義経は、頼朝への土産に持ってきた珍しい器や財宝をむなしいものとして境内に埋めたという。下鶴間には、謎を解けば財宝のありかが分かるという歌が伝わっていた。鶴間の地名は、このときの鶴舞いが転じたともいわれる。
原典より
浦島寺の狸と夜泣き石(横浜市神奈川区) 一六五無量寺の不動明王(横浜市南区蒔田町) 一六九東樹院の文福茶釜(横浜市南区笹下町) 一七三源範頼と大寧寺(横浜市金沢区片吹町) 一七七—— 神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の伝説(谷川平夫(文)/読売新聞社横浜支局 編・1967年(昭和42年))
『神奈川の伝説』は、読売新聞社横浜支局が一九六七年に編んだ神奈川県内の伝説集である。読売新聞神奈川県民版に昭和四十年九月から四十二年八月まで八十回連載された「神奈川の伝説」のうち六十五回分を収め、文は谷川平夫記者が書き、伝説の地を訪ねて住職や古老に聞いた話と現在の様子を添える。樹木・石・塚・水・坂や島・屋敷址・社寺・禁忌・地名の部に話を分け、大藤時彦の序文と巻末の解説・索引を付ける。