乱れ髪で秀郷を迎えた将門の卑少化説話
どんな伝承か
秀郷が将門の館を訪ねた折の対面説話である。『吾妻鏡』は、秀郷が偽って門客に列すると称して陣中に入ったところ、将門は喜びのあまり梳っていた髪もそのままに烏帽子をかぶって現れたので、その軽率さを見た秀郷は誅すべき者と判断して退出し、ついにその首を取ったと記す。『将門純友東西軍記』では、将門は白衣のまま慌てて出迎え、椀飯を供したうえ食物を袴に落として自ら払い拭うありさまで、秀郷は天下を覆す器ではないと心中に疎んじ、下野へ帰って貞盛と談じたという。こうした将門卑少化の説話が長く流布した。
原典より
将門をしめたを竜王へはなし将門は、 新皇を名告ったのも束の間で、まもなく俵藤太秀郷と従兄弟の貞盛の連合軍に奇襲されて、奮戦のあげく矢に射られて死ぬ。—— 将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。