栗山観音・煙中を逃れる本尊
どんな伝承か
天平十一年、諸国に観音像を造らせたとき、下総国豊田郡の栗栖院常羽の御厩に観音が立ったという。承平五年、将門が叔父良兼と荘園を争った折、御厩の別当多治経明は将門の先陣の将であったため、同七年八月六日に将門が蚕飼川の渡しで良兼に敗れたとき御厩も御堂も兵火にかかったが、御像だけは煙の中から逃れ出た。天正五年の兵火でも御堂は焼けたが像は無事で、多賀谷重経が永禄九年に建てた御堂がいまの堂である。元禄八年、暁順和尚が霊夢によって堂と寺を今の所へ移し、民家も移ったのが栗山の郷だという。安永の頃、広栄和尚が朽ちた像を飛騨の甚五の作と偽ったと縁起は責め、二度の大火にも焼けなかった仏だと結ぶ。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。