常門神社と相馬太郎常門
どんな伝承か
七保町和田の霊山院金竜寺の過去帳には、寛仁二年二月八日に始祖常門七十八歳、永観元年六月二十五日に常門の母蓉方の戒名が記される。寛仁二年は将門敗死の天慶三年から七十七年後で、常門は将門敗死の年に一歳だった計算になる。『神田明神誌』に載る旧神官の子の談では、常門神社は村の鎮守で祭神は相馬太郎常門、母は芙蓉の前と伝え、旧神官の相馬氏はその末裔だという。和田の相馬七人組の一族も常門の子孫とされ、土地の伝承では初代相馬に七男二女があり、七人の男子が分家して相馬七家になった。七仏を刻む神鐘はもと七枚あり、系図も付いていたが今は所在が分からない。総髪の風習は明治の中頃まで続いたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。