定林寺の由来=良門と忠臣定元
どんな伝承か
東国の英雄壬生良門は剛強で慈悲がなく、家臣の林太郎定元がしきりに諫めたため怒って追放し財産を没収した。定元は秩父の知人を頼って来たがすでに亡く、旅の疲れで妻も自分も相次いで死んだ。残された三歳の子を沙門空照が育て、成人して仕官を求めたとき狩に出た良門の目にとまり、空照がその素性を語ると良門は深く感じ入り、子に林源太良元の名と父の旧領を与えた。良門は自ら法華経を金字で写し、定元夫婦の菩提のため宮路の里に一寺を建て、定元の姓をとって定林寺と名づけたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・1966年(昭和41年))
『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』は、梶原正昭と矢代和夫が一九六六年に著した平将門の伝説の研究書である。茨城県岩井町をはじめ各地の伝説地の踏査と、縁起・古記録・地誌をもとに、将門の怨霊と調伏、七人の影武者、子の良門や娘の如蔵尼、寵妃桔梗ら落人の行方、後裔を名告る家々、伝説の伝播と文芸化をたどる。序章と三篇からなり、巻末に青森県から鳥取県までの伝説分布と、寺社縁起など関係文献の抄録を附録として付す。