疫病と凶作が生んだ国分寺の詔
どんな伝承か
海老名に国分寺が建つまでの経緯を著者はさかのぼる。仏教は欽明天皇の時代に百済から伝わり、聖徳太子の保護を経て、国の制度を支える倫理として貴族の間に広まった。深く仏に帰依した聖武天皇の代には、天候不順による凶作が続き、新羅から伝わった天然痘が九州から都へ広がって、権勢を誇った藤原四兄弟まで相次いで病死した。天皇はこうした災いを自らの不徳のためと受け止め、天平十三年二月、国ごとに僧寺と尼寺からなる国分寺を建て、七重塔を築いて経を写すよう命じた。これが相模の国分寺が建てられるきっかけとなった。
原典より
以上のような経緯があって天平十三年(七四一)、諸国に国分寺(僧寺と尼寺)の創建を発願されるにいたる。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。