国分寺に入った僧尼の厳しい道
どんな伝承か
奈良時代、僧や尼になることは人頭税を免れ国の保護を受ける特権を意味し、一族が極楽へ行けるとも信じられていた。そのため出家には厳しい手続きがあり、俗人のまま寺に通って修行する者は男なら優婆塞、女なら優婆夷と呼ばれた。修行を積むと師が治部省へ申請し、戸籍の確認と僧綱による試験を経て、太政官から度牒を受けてようやく僧尼になれた。天平六年の改正では、法華経か最勝王経を暗誦し三年以上の修行を積むことが条件とされ、戒律を破れば俗人に戻されて重く罰せられた。海老名台地に国分寺が完成すると、多くの僧尼や優婆塞・優婆夷が入って仏前に仕えたと著者は想像している。
原典より
海老名台地に金色まばゆい国分寺が完成すると、たくさんの僧や尼が入り、同時に優婆塞や優婆夷が仏前に奉仕した。—— 神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
神奈川の史実と伝説(小森良章・1975年(昭和50年))
『神奈川の史実と伝説』は、新聞記者から県政の仕事に転じた小森良章が昭和五十年に著した郷土史の読み物である。倭建命の東征から鎌倉幕府の滅亡までを範囲に、神奈川県内に残る伝説を十一の篇にまとめ、走水の弟橘姫や足柄山の金太郎などを取り上げる。各篇は伝承地を副題に掲げ、伝説とその背景にある史実を結びつけて語り、古事記や吾妻鏡などの記録を引きながら著者の推測も交えている。