谷が一つ足りなかった弘法谷
どんな伝承か
弘法大師は唐から戻ったのち、寺を建てるのにふさわしい土地を求めて諸国をめぐった。条件は谷が百あることだったという。下浅見の地も調べたが谷は九十九で一つ足りず、大師はあきらめて記念の井戸を掘り、別の土地を探す旅に出た。これが「弘法谷」の名の起こりで、井戸は弘法井戸と呼ばれるようになった。大師はこの井戸の水で心経一巻を書き、その心経は栗崎の宥勝寺に寺宝として残ると伝わる。弘法谷と井戸は今は栗崎の地内だが、もとは下浅見にあったらしい。井戸のそばには明和三年や安政六年の銘をもつ石碑が建っている。
原典より
弘法大師は支那から帰ると、寺をたてる適地を探して、諸国を歩いた。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 上(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 上(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成――分類と解説 上』は、韮塚一三郎が埼玉県内の伝説を類型ごとに集めて編んだ伝説集の上巻である。片目の魚、化かす狐や狸、松・杉などの樹木、石や岩、ダイダラ坊と山、清水・渕・池・井戸にまつわる県内各地の伝説を、郷土誌や地誌、『埼玉史談』などの文献と、地元の資料提供者や話者の報告から採って収める。各話に所在地と出典を添え、話型ごとに〈解説〉を置いて全国の類例と信仰の背景を論じ、[参考]文献を挙げる。