遍路の納め札を御降りと踊る夫婦
どんな伝承か
門先に立った六十ばかりの遍路に、家の上さんが両手にこぼれるほどの白米を掬って差し出した。あまりに多いので驚く遍路に、上さんは踊のおかげで米が安い、無くなればどこからでも貰えると言う。遍路は礼に札挟みから札を抜いて渡したが、天下大平と国土安全の文字の間に弘法大師の御影があるのを見た上さんが甲高い声を上げた。飛び出してきた亭主はそれを御降りだと思い込み、うちにも御降りがあった、ええぢゃないかと踊り出し、上さんも調子を合わせて踊る。遍路は薄い眼を見開いて呆れ顔で眺めていたという。
原典より
「南無大師遍照金剛・・・・・・」 幾らか皺枯れた声で唱名しながら、六十ばかりの白髪の頭に網代笠をずらした、遍路が一人門先に立つてゐた。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・1931年(昭和6年))
『阿波えゝぢやないか』は、山口吉一が一九三一年に著した、幕末の「ええぢゃないか」騒動の記録である。慶応三年の暮れに阿波で起きたお札降りと踊りの騒ぎを、県内の古老五十余人からの聞き書きと郡村史誌などの記録によって、起因・神異・服装・歌謡・禁忌などの面からたどる。徳島日々新報への連載をまとめたもので、概観篇・詳述篇・挿話篇・補遺篇から成り、鳥居龍蔵の序、話者の古老の一覧、太田明の「御下り踊私考」を付す。