御所の入りと八幡宮
どんな伝承か
入間河原で殺されたはずの木曽義高が身代りを立てて落ち延び佐野家を頼ったと伝わる。岩崎では義仲の孫義持が当地を開き東昌寺を建て、応神天皇像を祭ったのが今の八幡宮という。
原典より
『東鑑』では、頼朝の娘大姫の婿と決まっていた木曽義仲の長男清水冠者義高は、寿永三年(一一八四)四月二十六日、入間河原で殺されたことになっているが、山形御所の入りでは、次のように伝わっている。—— 田沼町史 第1巻(田沼町) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(田沼町)
『田沼町史 第1巻』は、田沼町が編んだ町史の一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。蛙鳴かずの池や京路戸山の大蛇などの怪異の話、唐沢山城の佐野氏や藤原秀郷、足利忠綱にまつわる話、義民の山神や源十郎石祠、根本山神社などの寺社縁起を、町内の各地に即して記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分け、ことわざの節は五十音順に並べるが、いの項の途中で切れている。