淵に身を投げた乳母を葬る塚
どんな伝承か
比企郡小川町大塚の字小峰にあった乳母塚は、姥塚とも書かれる。鎌倉将軍守邦親王の愛妾で、梅皇子の庶子である梅麿を育てた乳母の墓だと伝わる。親王が世を去り、梅麿も幼くして亡くなったことを嘆いた乳母は、淵に身を投げたといい、梅月妙信尼という法号が永禄十年の『大梅寺勧進録』に見えるという。明治十五年の調査では、梅皇子塚の南側に一間四方ほどの塚があり、文字の読めない板碑が一基立っていたと記録された。地元の大塚董氏によれば、この塚は昭和十六年、工場の疎開に伴って土地が均された際に土中へ埋もれてしまったという。
原典より
伝えるところによれば、この乳母は守邦親王の死と、梅麿の夭折を悲しみ、淵に投じたという。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。