守邦親王の膳を埋めた金膳塚
どんな伝承か
比企郡小川町上古寺字大道にある金膳塚は、金釜塚ともいう。鎌倉将軍の宮守邦親王が東王寺(天台宗、西平慈光寺末、伽羅陀山地蔵院と号す)に仮寓した時に使用した什器仏具の類を、土民が埋めた塚だという。小川町大塚の大塚仲太郎氏の調査によれば、『比企年鑑』が記すとおり、守邦親王が東王寺仮寓中に用いた膳と茶釜とを埋めたものだといい、この塚をあばく者は狂人となるといわれてきた。なお大塚氏によれば金膳塚と金釜塚はまったく別個のもので、大正九年に金膳塚として発掘され金仏の出たのは、後に金釜塚であることが判明したため、金膳塚の方はまだ発掘されていないという。
原典より
この塚をあばくものは狂人となるといわれている。—— 埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
埼玉県伝説集成——分類と解説 中(韮塚一三郎・埼玉県伝説集成)
『埼玉県伝説集成——分類と解説 中』は、韮塚一三郎が編んだ埼玉県の伝説集の中巻で、上中下三巻のうち歴史伝説を収める。地名・屋敷・家系・聖地・城や堤や橋・神仏・神体と宝物・偉業・事件と紛争の九章に分け、県内各地の伝説を『新篇武蔵風土記稿』などの文献と土地の人からの聞き取りによって集めている。一話ごとに所在地と出典または資料提供者を記し、同じ類型の話をまとめた後に柳田国男らの説を引く〈解説〉を置く。