寛永の鹿島躍と疫病除け
どんな伝承か
常陸鹿島の弥勒の船の踊歌は、いわゆる弥勒二年の私年号と関係のある現象だろうと説かれたことがある。後の改作が想像されるにもかかわらず、今伝わっている辞句も表現がいかにも素朴で、室町期の気分が感じられる。また一方には、寛永の頃に諸国に疫病の災いがあり、鹿島の神輿を渡してその患いを除かんことを祈った際に、この躍を踊ったのが始めだという言い伝えもあるというから、少なくとも近年の流行でないだけは判る。この私年号の唱え始めが鹿島だという証拠はまだ見当たらないが、常陸一国の文書の中にも二三の実例はあり、ここが年号使用圏の東の端であった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。