鹿島事觸の路頭託宣
どんな伝承か
鹿島の事触と呼ばれた下級神人の巡歴があった。近頃の記録に出ているのはすべて願人坊主に近い門付け物乞いの徒であったが、それでも彼らの唱え歩いた歌詞などには比較に値する特徴が伝わっている。『常陸国誌』の記すところによれば、鹿島事触は古く現れ、すでに寛文十年に寺社奉行は大宮司則房の申立に基づいて、彼らの業務を祈祷と札配りとに限定し、それも本社の允許を受けることを必要とし、かつ事触の名を改めて御師と称させたとある。それにもかかわらず元の名はなお久しく行われた。鹿島の御師はもとこの二つのほかに路頭の託宣を公認されていて、到る処の辻々の群衆に対して、次の年の吉凶禍福を神の言葉として触れ歩いたようである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。