古見島のマラリア流行と衰亡
どんな伝承か
古見はかつて南島文化の一中心であったが、近世に入って激しい盛衰を経た。琉球郷帳には村の名が『三離れ村』と記され、これは土地の聖地である三離御嶽(ミチャリオーン)の名に由来するという。三百年の間に人口は激減し、宝暦三年(一七五三)の番所日記では七百六十七人とあったが、近年は十戸ほどとの報告もある。マラリアの流行と栄養の欠乏、信仰の頓挫が主な原因とされ、大戦の時代には山中に逃げた人々がこの病でさらに倒れたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。