保土の島の墓所始まりの由来
どんな伝承か
保土の島は全体が四十五町歩ほどの面積で、そのうち百十三町歩が畑という、一つの山を三倍以上に耕した島である。山の頂上まで段々畑で平地がほとんど無いため、昔は島に死人を葬る余地が無く、対岸四浦の山陰にある寺の墓地へ舟で葬式に行く習わしだった。ある年、風が荒れて七日も舟が出せないことがあり、それ以後は島に墓を造るようになったと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第1巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第1巻』は、柳田国男の著作を集めた著作集の一巻である。椰子の実の漂着から日本人の渡来と稲作を海の道に求める論考と、海神宮考・みろくの船・根の國の話・寶貝のこと・稻の産屋などの諸篇、大正期の南島旅行に基づく『海南小記』、昭和二十六年八月の自序をもつ『島の人生』を収める。いずれも海と島を舞台に、ニライカナイや宝貝、漂着や島の復興をめぐる民俗と歴史を論じている。