宇治田原に残る田原藤太秀郷の名字の地
どんな伝承か
柳田は、佐藤・松田・波多野・河村などの諸家と同じく田原藤太秀郷を共通の祖と仰ぐ一人として、その名字の地を見ようと思い立ち、大阪での講演のついでに近江信楽から紅葉の山路を越えて山城の宇治田原の谷に入った。宇治橋の周辺には武内宿禰の歌物語から橋姫の信仰、平等院の頼通・頼政、近世の通円にいたる由緒が重なり、さらに川上には喜撰法師や猿丸大夫の名残があり、奥には秀郷が子孫のために美田を拓いたと伝える土地がある、と記す。
原典より
しかも誰か思はんや、百歩の川上には喜撰の歌法師、その又上流には猿丸大夫永く幽居の名残を留め、更に奥深く入つては我が田原殿あつて、爰に一區の美田を子孫の爲に經營し去ったことを。—— 定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第2巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第2巻』は、柳田国男の紀行と旅の随筆を収めた著作集の一巻である。昭和三年一月の自序に続く「雪国の春」や菅江真澄の日記を読み解く文をはじめ、東北の村々の正月、火と炭、浜の暮らしの見聞、「秋風帖」「東国古道記」、昭和十五年十一月の自序を持つ「豆の葉と太陽」などの紀行を並べる。峠や古道、佐渡・五箇山・熊野などの土地を、住む人の暮らしと信仰から見ようとする文が多い。