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地名が呼び寄せた傾城の悲恋

所在地東京都国分寺市(姿見の池)
年代不明(中世を舞台とする伝説)
登場畠山重忠、遊女、傾城
出典定本柳田国男集 第3巻

どんな伝承か

恋ヶ窪という地名は、もともと単に水を意味したか、泥が深いのでコヒヂと呼ばれたのが起こりで、そこへ誰かが恋の字を当てたにすぎない、と柳田は説く。ところが字が付いた途端、塚は傾城塚と呼ばれ、池は姿見の池となり、やがて美しい遊女が別れを悲しんで身を投げたという物語までが土着した。今ではそれを嘘だと評すれば怒りだす人が多い。畠山重忠は秩父方面の大地主だから、ここを通って府中から鎌倉へ往来したことは幾度もあったろうが、悲恋の一幕は地名が呼び込んだ空想にすぎないという。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。

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