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大田南畝の恋ヶ窪先祖探訪

所在地東京都国分寺市恋ヶ窪
年代文化六年二月二十四日
登場大田南畝、蜀山
出典定本柳田国男集 第3巻

どんな伝承か

大田南畝は文化六年二月二十四日、還暦の誕生日まであと十日という日に、わざわざ府中の宿舎から恋ヶ窪村を訪れた。先祖の書き残した文書に「大田の名字有る処、武蔵国多西の郡小郷、鯉がくぼより出づるさむらひ也」とあり、それがどの辺かを尋ねていたためである。調布日記には、初めてこの地に来て古を懐い涙も落ちるばかりであったこと、村に大田という名字の農家があるかと問うと無いといい、大田という字はないかと里正に問うても全く無かったこと、帰り道に布目のある瓦と、嘉慶二年の文字のある青い石の欠けたものを得たことが記されている。青石は板碑の断片であった。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。

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