白川郷・城端から来る紺屋染めの晴着
どんな伝承か
白川一村のなかで最も大きな平地は荻ノ町・飯島の周囲で、およそ四十町歩もあろうかという。荻ノ町飯島には城端から移住した商家などもあってやや世間の風が吹くが、そこから下って芦倉あたりまで来ると、今もまだ五つ紋の小袖を着て田植をする女を見る。その着物はすべて手織で、男は無地の浅葱の紋付、女は若い者は裾に萩の花を染め、老いた者は浪に燕の裾模様が普通である。いずれも城端の紺屋へ遣わして染めさせる。中ノ切に次いではこの飯島の対岸あたりが古風であろうという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。