行基が刻んだ波切不動
どんな伝承か
悪業を断って迷いを去らせようという慈悲の心から、天平年中に行基が刻んだと伝える波切不動は、もと成東の海岸に建てられた。延暦年中に慈覚大師がこの地に来た時にはまだ波の打ち寄せる所にあり、波が鏡に映って眼を打つといわれたが、その後の海岸の変化のためか、今の不動堂は海からよほど隔たり、波打つという言葉がふさわしくなくなっている。この口碑から考えると、成東の不動のあるあたりはかつて海辺の地であったのだろうと房総志料続篇は記す。石塚山長慶寺記には、聖武天皇の天平六年に行基が東国を巡り、民が溺れ死ぬのを見て不動像を刻み、波切不動と名づけて船路の災いを除かせたとある。
原典より
悪業を断って、迷いを去らしめようという慈悲の心から、行基が刻んだという、漫切不動(天平年中)は、もと、成東の海岸に建てられたもので、其後延暦年中、慈覚大師が此地に来た際には、まだ、波の打つあたり、『波打つ鏡に見え、眼をう…—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。