内裏塚を掘って祟られた里人
どんな伝承か
飯野村二間塚には内裏塚と呼ばれる塚が南北に二か所ある。南の大塚は氷上親王の墓だと言い伝えられ、塚の下に小さな祠、その下に石室がある。昔、村の農夫が春の農閑期に塚を掘ってみると、中には衣冠の整った骸があり、冠や服はまだ新しかったが、しばらくすると忽ち灰となり、骨だけが残った。集まって見た人々はことごとく悪い病にかかったという。とりわけ六三という背の高い里人が塚の骨と自分の骨を比べたところ、塚の骨のほうがはるかに長かったが、六三はその罰を受けてたちまち滅んでしまったと伝わる。棺の蓋はその後飯野寺へ運ばれて碑に作られ、今に伝わるという。この辺りには三条家、九条塚など名も知れぬ古塚がほかにもある。
原典より
飯野村二間塚に、内裏塚と呼ばれるところ、南の方が一と、北の方が一と、二ヶ所にある。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。