聖徳太子開基の鹿野山神野寺
どんな伝承か
鹿野山の神野寺は東国の名刹で、鹿野山琳聖院神野寺、一名鹿野寺と称する。推古天皇六年九月、聖徳太子が舎人の調子麿らを従えて富士山から都へ戻る途中、この山を無二の霊地として堂宇を構え、自ら薬師・軍荼利・弥勒・地蔵の四体と自身の像を刻んで安置したのが開基だという。鹿野の名は日本武尊が東征の折に当山の神が現れて軍を守ったという伝えによる。のちに弘法大師が三年滞在して荒れた伽藍を再興し、真言の道場とした。順徳天皇の頃に兵火で一山が焼け、薬師と軍荼利の二像だけが残って今の堂に祀られた。境内には天狗の棲むという天狗杉があり、親鸞が登山して自ら刻んだという肖像も寺宝として伝わる。
原典より
有名なる鹿野山の神野寺は、東国の名刹、希有の大伽藍で、鹿野山琳聖院神野寺(一名鹿野寺)と称へられてゐる。—— 日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説叢書 上総の巻(藤沢衛彦・日本伝説叢書・1917年(大正6年))
『日本伝説叢書 上総の巻』は、藤沢衛彦が大正六年に編んだ上総国の伝説集である。夷隅・長生・山武・市原・君津の五郡にわたり、地名の由来、社寺の縁起、城と武将の事跡、大蛇や狐つきの怪異、俚謡や民間の風俗を、口碑や『総国誌』などの地誌から集める。巻頭に著者の序と緒言を置き、上総国と郡の名義を説いたのち、郡ごとに町村の所在を添えた見出しで一話ずつ並べる。