興宗寺に伝わる岩佐又兵衛の墓
どんな伝承か
浮世絵の祖ともいわれる岩佐又兵衛の墓と伝えるものが、福井市尾上中町の興宗寺の境内にある。そこに葬られたとされる人物は福井藩主松平忠昌に仕え、寛永十年に将軍家光に召されて江戸へ上り、慶安三年六月二十三日に七十三歳で江戸で病死したという。家系図では、又兵衛は織田信長に攻め落とされた荒木氏の出で、母方の岩佐姓を名乗ったとされる。著者は、同じ名を名乗る者が何代にもわたっていたと考えている。
原典より
福井市尾上中町の興宗寺内に在る岩佐又兵衛の墓と傳へられてゐる當人は、福井藩主松平忠昌に出仕して、寛永十年將軍家光に召されて江戸に上り、慶安三年六月二十三日、七十三歳で江戸で病沒してゐる。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。