荒乳山の名は女神の産の血
どんな伝承か
『義経記』巻七「荒乳山の事」に見える山の名の由来である。義経一行が近江と越前の境の荒乳山にさしかかったとき、義経は、この山は昔は「あらじい山」、今は「あらち山」と呼ぶ、岩が険しく旅人が足を踏み損じて血を流すからだと説いた。弁慶はそれを笑い、本当のいわれは自分が知っていると語り出す。加賀の白山の女神が志賀の都で辛崎明神に見初められて身ごもり、自分の里でお産をしようと加賀へ下る途中、この山の頂で急に産気づいた。明神が腰を抱いて助け、無事に生まれたが、その時に産の荒血をこぼしたので「あら血の山」というのだと。義経も「私もそう知っていた」と笑ったという。
原典より
其の時産の荒血をこぼさせ給ひけるによりて、あら血の山とは申し候へ。—— 福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
福井縣鄕土誌 民間傳承篇(中塩清之助(編)・福井縣鄕土誌・1939年(昭和14年))
『福井縣鄕土誌 民間傳承篇』は、福井市立実科高等女学校の郷土誌第二輯として教諭中塩清之助が編み、昭和十四年二月付の学校長金岡正孝の序を巻頭に置く。丹生郡の名、哭女、越前萬歳、仏の舞、幸若舞、猫塚、隠れ里、子育て幽霊、愛発の関、弁慶譚、八百比丘尼、水の神女譚を、古文献や他地方の類例と照らして論じる。生徒が集めた県下の昔話は類話をA・Bなどに分けて並べて解説を付し、校正者大村四朗の跋を添える。