団地造成で消えた間米の将軍塚
どんな伝承か
間米町鹿追四五四番地の畑の中に、将軍塚と呼ばれる塚があった。高さは三〇センチ余り、広さは七平方メートルほどである。塚がいつ頃できたのかはよくわからない。豊明の歴史のなかでは、地蔵の信仰や十三塚の信仰と並んで重要なものと見られている。しかし二村台団地の造成により、この塚は消えてしまった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊明市史 資料編 5 (民俗編)(豊明市史)
『豊明市史 資料編 5 (民俗編)』は、豊明市の市史の資料編のうち、民俗編の第一節「伝説」を抜き出したものである。栄町・沓掛町・大久伝町・新田町などに残る塚・地蔵・観音・清水・古木にまつわる言い伝えを、所在地や大きさ、ご利益とともに記し、旧鎌倉街道沿いの十三塚と狐、二村山の身替わり地蔵、織田信長にちなむ鷺の森などを含む。じゅんてん観音から市場地蔵まで二十一の項目に小見出しを立てる。