奥の沢に籠もった唯念上人
どんな伝承か
唯念上人は肥前の藩士の家に生まれ、江戸に出て僧となり、諸国で山にこもる修行を重ねた。甲州で老尼に東南の霊地を教えられ、富士山頂では義賢行者に左合わせの山で行をせよと言われて、明神峠の麓を探し歩き、奥の沢の谷にとどまった。昼は岩の上で念仏し、夜も横にならず岩壁にもたれて眠り、蕎麦粉を水でこねて食べたという。無欲で施しを貧しい村人に分けたので、村人は感じ入って天保元年四月に草庵を建て、これが唯念寺となった。滝に打たれていると狼が来て首を垂れ、大蛇も現れたので、「竜」の字の札を火防の呪いとして配ったという。体の刀傷から日光の円蔵の変装だとの噂も立ったが、根拠のない話だという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
小山町史 第9巻 (民俗編)(小山町史)
『小山町史 第9巻(民俗編)』は、静岡県駿東郡小山町の町史の民俗編から、口頭伝承の章の伝説の節を抜き出したものである。石子詰にされた忍びの若者・用沢小僧の伝えを出典ごとに並べ、むらの名の由来、金太郎ゆかりの地と石、仇討如来や鬼鹿毛馬頭観音、村境の決め方、竹之下合戦にまつわる伝えなどを収める。富士山麓と足柄山のあいだの町に残る、地名と社寺・石に結びついた言い伝えが中心である。