義経が潜んだ大股の判官山
どんな伝承か
文治五年四月、平泉の高館で藤原泰衡の軍に襲われた源義経は、ひそかに逃れて束稲山の佐藤基治の館に隠れたのち、常陸坊海尊ら十一人と岩谷堂へ行き、人首・五輪峠・物見山を経て姥石峠から気仙へ入ったという。世田米に来た一行は大股の山奥に分け入り、追っ手の来ないその山で野宿を重ねて身を潜めた。澄んだ空と緑の森、清い流れに義経は深く心を動かされ、山は九郎判官の名から判官山と呼ばれるようになったと伝わる。上有住の葉山を流れる気仙川の岸には弁慶の足跡という岩があり、対岸の山頂には判官手掛けの松という老松もあったという。一行はその後、赤羽根峠を越えて青笹の方へ向かったとされる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
住田町史 第6巻 (民俗編)(住田町史)
『住田町史 第6巻(民俗編)』は、岩手県気仙郡住田町の町史の民俗編から、伝説の節を抜き出したものである。地名・石や岩や水・長者や旧家・社寺や祠堂の四つに分けて、山姥のような老婆と和尚の大股・小股、石にされた姥、河童の頼んだ手紙、櫃割長者の大蛇、座敷わらしなどの言い伝えを収める。世田米・上有住・下有住の集落や山に結びついた話が中心である。