亡骸を奪われた彦狭島王の王塚
どんな伝承か
景行天皇の時代、豊城入彦命の孫の彦狭島王は東山道を治める長に任じられ、美濃を経て春日の穴咋邑に入り王城を築いたが、病を得てこの地で没した。里人は嘆きつつ亡骸を多くの副葬品と共に葬って王塚を築き、王宮社をまつった。ところが王の赴任先だった上毛野国の民が夜陰に紛れて亡骸を掘り出し、藤蔓の背負い具に載せて持ち去り、里人は追ったが及ばなかった。塚は垣で囲まれ、踏み込めば神罰で即座に死ぬとされ、代掻きの白馬が飛び込んで死んだ話も残る。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
望月町誌 第2巻 (民俗編)(望月町誌)
『望月町誌 第2巻(民俗編)』の伝説の節を抜き出したものである。旧望月町(いまの佐久市)の集落ごとに、植物・石・清水と池・岩穴と塚・城と屋敷・田と原・地蔵や観音・稲荷・動物・巨人・化け物・禁忌・カッパ・地名の伝えを並べる。望月の駒と生駒姫、梅円坊の化け物退治、彦狭島王の王塚、長者原の長者、ゴマを作らない村々の言い伝えなどが見える。