大水で移された産土の明神窪
どんな伝承か
行幸田の谷地集落の南、山あいに明神窪と禰宜屋という地名が残る。昔ここには村の産土神である明神がまつられていた。ところが百年に一度という大雨で有馬の午王川と熊沢が合わさって大水となり、湯の上村へなだれ込んで、田畑ばかりか家々にも大きな被害を出した。災いを恐れた村人は明神を今の場所へ移したので、今は地名だけが残っているという。禰宜が住んでいたところは禰宜屋と呼ばれている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渋川市誌 第4巻 (民俗編)
『渋川市誌 第4巻(民俗編)』の伝説と昔話の冒頭を抜き出したものである。群馬県渋川市の飛び湯と午年の貝水、千が窪の蛇、弘法様の清水、渋川八名石・有馬五石などの石の伝え、祖母島のあずきとぎ、五居が島、二位寺山、歯黒稲荷などを、伝承の大字を添えて収める。利根川と吾妻川の合う町の、石と水と塚にまつわる伝えが中心である。