判断の附かぬ幽霊
どんな伝承か
明治の初め、徳島県名東郡一ノ宮村(現徳島市一宮)の富豪・藍野正春の弟・徳二郎は家業の藍製造のため京都に上り、三条の松尾旅館を定宿としていた。旅館の娘・春乃と懇意になり妊娠させたが、徳二郎が京都へ行けずにいる間に春乃は病に倒れ、東寺の境内に葬ってほしいと遺言して息を引き取った。徳二郎が京都に戻ると、亡くなったはずの春乃が赤子を背負って訪ねてきたが、話す間に姿は消え、御幣を抱いた赤子だけが残された。一宮寺の院家に相談し赤子は母に預けられ、後にその子は一宮寺の住職となり徳婆上人として名僧に数えられたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体(修羅挑天・仏教・幽霊論・1931年(昭和6年))
『修羅挑天 仏教より観たる幽霊の正体』は、修羅挑天が著し、昭和六年に中央出版社から発行された仏教の立場からの幽霊論である。霊魂観念の変遷、四悪趣と幽霊、幽霊の定義と分類を説き、責任感の強い幽霊・嫉妬の幽霊・復讐する幽霊などを、新聞記事や著者が自ら調べた大正・昭和の実例で示す。緒説と十段からなり、後半では倶舎論・唯識論・起信論・法華経・真言密教・浄土門の教えに照らして幽霊を論じている。