行基が立木に刻んだ清水観音
どんな伝承か
筑後の本吉にある清水寺の観音には、こんな由来が伝わる。行基が唐から帰ってこの地を訪れると、毎夜東山の深い谷から怪しい光が天を射ていた。探しに行くと、合歓の古木を背にして観音の姿が幻のように現れたので、行基は喜び、立木のままその幹に一刀ごとに三度礼をして観音を刻んだという。京都の清水観音も同じ合歓の木の上の方から刻んだものだと言われる。生えている木に彫った観音なので、この地方では家付きの娘に婿を迎えると、その娘を清水観音と呼ぶ。たびたびの火事にも焼けなかったので信仰が厚い。境内の五百羅漢の石仏はどれも首がなく、その行方も理由もわからないという。
原典より
行基喜んで立木のま、その幹に一刀三禮して觀音の像を刻んだのが清水觀音である。—— 炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
炉辺叢書 筑紫野民譚集(及川儀右衛門・1923年(大正12年))
『炉辺叢書 筑紫野民譚集』は、及川儀右衛門が筑紫野で暮らした二年ほどの間に、土地の故老や下宿の老婆から聞いた話、教え子が書き送ってきた物語を文献とも照らしてまとめた民譚集である。筑後を中心に筑前・肥前・肥後・豊前・豊後の河童、怪火、長者の話、神事と歌舞、山と水の伝奇、狐狸や幽霊の怪異を六篇に分けて収め、多くの話に古記録を引いた〔註〕を添える。序の日付は大正十二年六月である。